認識論的謙虚さ:パンデミック禍で限界を知ること【記事メモ】

【出典記事】
Angner, E. (2020). Epistemic Humility-Knowing Your Limits in a Pandemic. Retrieved July 30, 2020, from https://behavioralscientist.org/epistemic-humility-coronavirus-knowing-your-limits-in-a-pandemic/

「無知はしばしば知識よりも自信をもたらす(Ignorance more frequently begets confidence than does knowledge.)」というダーウィン1871年に書いた見識は、現在のコロナウイルス危機に対処する際に心にとどめておく価値がある。

・過信(Overconfidence)や、認識論的謙虚さの欠如(Lack of epistemic humility)は実害をもたらす可能性がある。

パンデミックの最中は知識が不足している。何人が感染しているのか、これから何人が感染していくのか、病気にかかっている人の治療方法や、かかっていない人の感染を防ぐ方法、医療・経済・資源配分の最善の政策については意見の相違があり、分かっていないことも多い。

・メディアを見ていると、必要以上に自信をもって自己表現をしている人がたくさんいることがわかる。たとえば、多くのコメンテーターは、どのような政策アプローチが最善であるかを知っているかのように語っている。まだ誰もそれを知る立場にはないが。

 

・われわれが新たな脅威について、明らかに、そして必然的に無知であることを考えると、しばしば極端な自信が表現されていることは奇妙に思えるかもしれない。けれども、過信は私たちのほとんどの時間を悩ませている。
Frequent expressions of supreme confidence might seem odd in light of our obvious and inevitable ignorance about a new threat. The thing about overconfidence, though, is that it afflicts most of us much of the time.

・過信は「心理バイアスの母」とも呼ばれてきた(Moore, 2018)。たとえば、ある古典的な研究において、米国のドライバーの93%が自分は中央値よりも運転が上手いと主張しているが、それは現実には不可能である(Svenson, 1981)。

・ある分野における専門家であることが、過信を防ぐことにはつながらない。むしろ、ある研究では、博識な人ほど自信過剰になりやすいことも示唆されている。

 

・真の専門家であるということは、世界のことについて知っているだけでなく、自分の知識や専門性の限界をも知っていることを含む。
Being a true expert involves not only knowing stuff about the world but also knowing the limits of your knowledge and expertise.

・真の専門家は自分の信念を隠すべきとか、信念を持って話さないべきということではない。信念の中にも他の信念より強い証拠に裏付けられた信念があり、私たちはそれを言うことをためらうべきではない。つまり、真の専門家は証拠に基づいて正当化される程度の適度な自信をもって表現をするということが重要である。

 

・認識論的謙虚さ(Epistemic Humility)は知的徳の一つである。私たちの知識は常に暫定的で不完全であり、新たな証拠に照らして修正が必要になるかもしれないという認識に基づいたものである。
Epistemic humility is an intellectual virtue. It is grounded in the realization that our knowledge is always provisional and incomplete—and that it might require revision in light of new evidence.

・認識論的謙虚さの欠如は悪徳であり、私生活においても公共政策においても大きな損害をもたらす可能性がある(Angner, 2006)。

Kruger & Dunning(1999)が強調しているように、私たちの認知能力とメタ認知能力は絡み合っている。課題を実行するために必要な認知能力が不足している人は、通常パフォーマンスを評価するために必要なメタ認知能力も不足している。無能な人は、無能なだけでなく、自らの無能さに気づいていないので、二重の意味で不利な立場にある。

・認識論的謙虚さの徳を実践するのに、現在ほど最適な時はない。また「良い専門家」と「悪い専門家」を見分けること(to separate the wheat from the chaff)がこれほど重要になったこともない。

 

・関連する情報や経験を利用していない、また、それを処理するのに必要な訓練を受けていないのに、極端に自信を持って表現している人は「悪い専門家」の中でも支障なく分類することができる。
People who express themselves with extreme confidence without having access to relevant information and the experience and training required to process it can safely be classified among the charlatans until further notice.

・認識論的謙虚さを促進するには、自分が間違っているかもしれない理由を考えることが有効と示唆されている(Koriat, Lichtenstein, & Fischhoff, 1980)。過信を減らすためには「この主張が間違っているかもしれないと思う理由は何か?」「どのような状況下でこれは間違っているだろうか?」といったことを尋ねていくとよい。

・意見を持ち、それを公の場で表現することは、たとえ大きな信念を持っていても問題はなく、良いことである。重要なことは自らの限界を反映しながら表現をするということである。

「リスニング力」の向上をもたらす実践:英文速読訓練の効果

英語学習における「リスニング力」を向上させるための実践はいろいろとある。特に有名なのは「ディクテーション」(耳から聞こえてくる音声を書き起こす活動)や「シャドーイング」(耳から聞こえてくる音声をそのままマネして発音する活動)だろう。

最近では、ディクテーションの発展的な形態ともいえる「ディクトグロス」(耳から聞こえてくる音声をもとに、仲間と協力して文章を復元する活動)も注目されている(*1)。

これらの実践はいずれも「音声情報の認識」に注目した訓練であり、たしかにリスニング力の向上に有効とされてきた。しかし、「音声情報の認識」だけではなく「音声情報の継時処理」に注目したトレーニング、特に「英文速読」もリスニング力の向上に有効であるという知見が得られている。

リスニングの2コンポーネントモデル

小山(2009, 2010)は、英語のリスニングについて音声の認識という点だけでなく、情報処理の観点からも考える必要があるとし、「リスニングの2コンポーネントモデル」を提案している。

このモデルによると、英語のリスニングには、音声情報を認識する「音声情報の認識コンポーネントと、聞き取った音声情報をそのままの語順で経時的に処理する「音声情報の継時処理コンポーネントの2つが関与するといい、両方の処理が適切に行われることでリスニングの理解に至ると想定されている。

実際に、継時処理能力と英語のリスニング力の関係性は小山による一連の研究(cf., 小山, 2019)で示されてきた。

具体的には、以下のような知見が得られている。

①読み戻りができないような形式で英文を提示されると、リスニングスコア下位群では理解度が落ちるが、リスニングスコア上位群では理解度に変化がない
②リスニングスコア上位群は下位群に比べて英文を読むときの読み戻り回数が少ない(継時処理に長けている)
③パワーポイントを用いた英文の視覚継時処理訓練によってリスニングスコアの向上がみられる

英文速読訓練によるリスニング力の向上

さらに、小山(2009, 2010)は英文速読訓練によってリスニング力が向上するという仮説を実証的に検討している。

まず、小山(2009)は大学生を対象に速読訓練とディクテーション訓練の効果を比較検討している。この研究では、速読群とディクテーション群が設けられ、8週間にわたって週1回ペースで訓練(10分程度)が実施された。

その結果、ディクテーション群においてはリスニングスコアの有意な向上が認められなかった。一方で、速読群においては、1分間に読める単語数(WPM; Words per minute)の増加に加えて、リスニングスコアにも統計的に有意な向上が認められた。

さらに、小山(2010)では、高校生を対象に英文速読訓練の効果を検討している。この研究では、速読群と統制群が設けられ、速読群のみで9週間にわたって週1回ペースの訓練(10分程度)が行われた。

その結果、速読群においては、リスニングスコアが統計的に有意に向上すること、ディクテーションスキルの高低にかかわらず、継時処理スキルが向上することを確認した。さらに、訓練前のディクテーション能力の高低に注目して分析すると、ディクテーション能力が高い学習者の方が速読訓練によってリスニングスコアが高くなることも確認した。

以上の研究を踏まえ、小山(2019)は次のように指摘している。

リスニングの情報処理プロセスを「音声情報の認識」と「音声情報の継時処理」の2つのコンポーネントに分けて考えると、「英語の音声を聞く」テストと、「英文を読み戻らずに読むテスト」の2つのテストを用いて、学習者が「音声認識」と「継時処理」のどちらのコンポーネントに問題を抱えているのか診断するテストを作成することが可能である。テスト結果に基づいて、音声認識が弱い学習者には「ディクテーション等聞き取りの訓練」を行い、英文を読み戻らずに読むことが苦手な学習者には「速読訓練を行う」といったように、学習者に応じたリスニング指導ができるのではないだろうか。

出典:小山(2019)pp.238-239

参考:英文速読訓練の進め方

以下、小山(2010)の英文速読訓練の進め方について簡単に述べる。

1.教師は参加者に速読ワークシートを配布する。ワークシートを上下で2つに折り、内容把握問題を隠し、英文のみが見えるようにするよう伝える。そして、合図とともに配布されたプリントに印刷された英文を内容を理解しながら、できるだけ早く、読み戻らないで読むよう教示する。
2.教師は教室前方の黒板に経過時間を書き出す。
3.参加者は英文を読み終わった者から、黒板に書かれた経過 時間を見て、自分が英文を読むのにかかった時間をワークシートに記入する。
4.参加者は本文を見ずに、内容把握問題を5問解く。解き終わったら自分でワークシートの裏に印刷された解答・解説を見て採点を行う。
5.参加者は公式に基づき、1分間に読めた単語数に、内容把握問題の正答率を掛け合わせたうえで、wpm(words per minute:1分間に読める単語数)を算出する。
6.最後に、参加者はwpmをワークシートに記入して、折れ線グラフを作成する。

出典:小山(2010)より

※速読教材は未知語が含まれないレベルの易しい英文を使用。

※wpmは内容理解のレベルを含めた調整値を使用。
公式は wpm={単語数/読解時間(秒)}×60×{正答数/問題数}

おわりに

英語のリスニングには耳から聞こえてくる英語の音声を「聞き取る」力が欠かせない。そうした力を高めるためには、ディクテーションなどの訓練が有効と考えられる。しかし、実際のリスニングにおいては音声そのものが聞き取れるだけでは不十分である。そうして流れてきた音声を(聞こえてきた順に)即時に処理する力、すなわち、音声を「理解する」力もリスニングには欠かせない。

音声理解には語彙力など様々な要因が関連すると考えられるが、本稿で見てきた「継時処理能力」もその一つと言える。そして、英文の(視覚的な)継時処理訓練の一つである「英文速読訓練」は、リスニング力の向上をもたらす有効な訓練の一つとなり得ることが示されてきた。

しかし、小山の一連の研究では「英文速読訓練」が中学生以下に効果を及ぼすかは不明であるし、ディクテーション能力以外の個人差によって効果に差がある可能性も残っている。「英文速読訓練」の効果が今後の研究でさらに深く明らかになっていくことに期待したい。

主な参考文献

小山 義徳(2009).英文速読指導が日本人大学生の英語リスニング能力の伸長に与える影響の検討 : ディクテーション訓練との比較 日本教育工学会論文誌, 32(4), 351–358.

小山 義徳(2010).英文速読訓練が英語リスニングスコアに与える影響と学習者のディクテーション能力の関係 日本教育工学会論文誌, 34(2), 87–94.

小山 義徳(2019).英語リスニング学習の改善に向けて 市川伸一(編)教育心理学の実践ベース・アプローチーー実践しつつ研究を創出するーー(pp.227-240) 東京大学出版会

*1:参考「ディクトグロスを用いたリスニング能力を伸ばす指導 —技能間の統合を視野に入れて—」https://www.eiken.or.jp/center_for_research/pdf/bulletin/vol20/vol_20_p149-p165.pdf

人種差別:心理学からのさらなる考察【記事メモ】

【出典記事】Racism: Further Considerations from Psychological Science. (2020, June 03). https://www.psychologicalscience.org/publications/observer/obsonline/racism-further-considerations-from-psychological-science.html

 

・近年の人種差別の研究では、潜在的なバイアス(すなわち、暗黙のうちに私たちの行動に影響する信念)やそれらを維持する社会的なプロセスについて扱い、人種差別の構造的・制度的な問題を検討し、多様な形態の人種差別の社会的・心理的・身体的な帰結について探究している。そして、人種差別をなくす(あるいは、少なくとも減らす)ための行動の可能性についても示している。

 

制度的人種差別と潜在的なバイアス(Systemic Racism and Implicit Biases)

・人種差別は偏見、ステレオタイプ、差別などの個人の心理プロセスによって定義されることがほとんどだが、実際には歴史的・文化的なレベルでもみられる。

Salter, Adams, & Perez (2018) は人種差別の文化心理学的なアプローチを提案。彼らは、人種差別というものが人種差別的なプロセスを供給・促進・維持する日常世界によって再生産されていると指摘。

・個人と文化の間にある相互作用は人種差別の解消を困難にしている。Salter et al. (2018) の研究を踏まえれば、人びとの個人的なバイアスを単に変えるだけでは人種差別そのものはなくならない。

・個人の偏見にばかり焦点化すると、人種に基づいたヒエラルキー構造を維持する構造的・文化的なプロセスの役割が不明瞭になる可能性。

Vuletich & Payne (2019) は、潜在的なバイアスが個人の属性というよりも社会的文脈の属性であり、社会的文脈を変えることは個人の態度を変えるよりも効果的にバイアスを低減できる可能性を指摘。

Gawronski (2019) では、潜在的なバイアスをより深く理解するための6つの教訓と、どのようにそれらを研究すべきかについて指摘。

①人は自らのバイアスに無自覚であるとは限らない(ある程度は自覚している可能性)
潜在的なバイアスと顕在的なバイアスは多かれ少なかれ関連している可能性がある
潜在的なバイアスが必ずしも実際の行動に表れるとは限らない
潜在的なバイアスは顕在的なバイアスよりも時間的な安定性が低い
⑤潜在指標による測定で得られた結果には文脈が大きく影響している
⑥潜在指標の分散はバイアスではない他のものを反映している可能性がある

 

人種差別の帰結(Consequences of Racism)

Landor & Smith (2019) は、個人の肌の色に基づいた暴行が外傷性ストレス反応や健康上・対人関係上の問題(例:低い自尊感情、高血圧、リスクの高い性行動)につながると指摘。また、Lewis & Van Dyke (2018) では、アフリカ系アメリカ人は他の人種的な背景をもつ人に比べて、大抵の主要な身体的健康指標(例:冠動脈性の心臓病、脳卒中、がん、HIVなど)の数値が悪いことも確認。

Hetey & Eberhardt (2018) は、刑事司法制度の中で黒人が白人よりも刑罰を受ける可能性がはるかに高いという人種格差に関する豊富な証拠があることを報告。

Kraus, Onyeador, Daumeyer, Rucker, & Richeson (2019) は、アメリカ人が現代社会での人種による経済的な不平等、特に貧富の差を過小評価していることを示した。これには、そうした抑圧から解放されたという信念を後押しするような人物の存在感や、社会を公正なものと捉えたいという動機などが影響。

・Current Directions in Psychological Science 誌での「人種差別」特集において、巻頭の Richeson (2018) では「米国政府が人種差別に関連した社会不安に関する画期的な報告書を発表してから50年が経過したが、社会的人種差別の根絶に向けた進展の度合いは依然として不明である。」と指摘。

 

人種差別と闘う方法(Ways to Combat Racism)

Hetey & Eberhardt (2018) は、黒人が白人よりも刑事司法制度によって処罰される可能性が高いことを思い出させることで、恐怖が引き起こされ、ステレオタイプ的な黒人と犯罪の連合や、偏見や格差を生む政策への支持が強まることを示した。

・人種による格差についてのデータを肯定的に提示するための戦略

(a) 格差を文脈化し、どのように発達したか、格差がいかに自然ではないかを説明
(b) バイアスについて市民教育を行い、人種と犯罪との関連に打ち勝つ
(c) 人種差別の構造的・社会文化的な形態を指摘することで、格差の永続における制度のもつ役割を強調する

Jones (2019) では、多様性や人種差別にかかわる研究や実践について紹介。

Craig, Rucker, & Richeson (2018) は、人種の多様性の増加によって人種集団間の関係性にどのような影響が及ぼされるかを説明する枠組みを提案。

・多様性の増加はマイノリティ集団を大きなものと知覚することにつながり、支配集団(マジョリティ)にとっては脅威を高め、偏見や差別、反移民政策への支持などにつながる可能性がある。

・一方、人種集団間でのポジティブな個人経験を伴っていれば、多様性の増加によるネガティブな影響は抑制できる可能性がある。異なる人種集団のメンバーとのポジティブな接触、特に同等の地位や共通の目標を共有している接触では脅威が少ない。

・さらに、人種の識別やステレオタイプに関する信念といった個人要因も脅威を減らせるかどうかに影響すると指摘。

Kraus et al. (2019) では、経済的な平等を促進することに加え、人種による経済的な不平等に関する実際の情報や、これまでの進展に関する根拠を提示することが、人種による経済的な不平等の誤解を解くために役立つ可能性を指摘。さらに、経済的な不平等のパターンを理解することが、人種ごとの長所・短所を維持している社会構造の文脈で人種差別を理解することに役立つ。

Campbell & Brauer (2020) は、理論と実践におけるギャップを埋めるために、理論ベースの原則に加えて「ソーシャル・マーケティング」に基づいた問題ベースの原則を合わせて用いることを提唱。偏見を減らし、人種差別に関する理論を進歩させることに役立つ可能性を指摘。

「不要不急の外出を控える」ことの問題:「不安」のリスク

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、政府からは「不要不急の外出は控えて」という発信がなされています【*1】。

現在、多くのイベントの中止・延期が決定し、さらには全国の小中高での臨時休校が要請されている【*2】ことを踏まえれば、今後しばらくは外出を控えて自宅にとどまる人が増えることは容易に想像がつきます。

外出を避ければ、新型コロナウイルスに感染する可能性、さらには他者にうつしてしまう可能性を低めることができると考えられます。しかし、外出を避けることが必ずしも社会や個人にとって良い結果を招くとは限らないと私は考えています。

家にいると「不安」を引き起こす情報に大量接触しやすい

というのも、新型コロナウイルスへの接触が減る一方で、やることが特にない状況で家にいる人が増えるわけですから、新型コロナウイルスに関する情報への接触が増えていくと予想されます。

ここ数日、テレビをつけても、インターネットを開いても、「新型コロナウイルス」に関する情報に触れない日はありません。言い換えれば、テレビやネットを利用する時に、新型コロナウイルスの情報を完全に避けるのは困難という状況です。家にいる時間が長くなり、テレビやネットを見ることが増えれば、自然とそうした情報への接触は増えていくでしょう。

そして、多くの情報と接触することには有益な面もあると思いますが、少なからず私たちの不安を増幅させていくとも考えられます。

この点について、イタリアの心理療法士である Alessandra Braga は「Emotional epidemic(感情の伝染病)」という言葉を用いて説明しています。

学校や職場の閉鎖は「多くの人が家で一日中コロナウイルスの話ばかりしているテレビ番組を見ているだけで、完全に不安を引き起こしている」ということを意味してしまっていると Braga は述べ、患者に「外に出て、空気を吸う」ように薦めていると付け加えた。

しかし、彼女は「それは感情の伝染病のようなものであり、感情をコントロールするのは困難です」とも述べている。

 

出典:'Emotional epidemic': Coronavirus fear takes mental toll in Italy(翻訳はGoogle翻訳による日本語訳を筆者が修正)【*3

すなわち、「不要不急の外出」を控えた結果、やることもなく家にいるばかりでは、テレビやネットなどの利用に伴う情報接触の増大によって不安が高まってしまう可能性があるということです。あまり見ようとは思っていなくても、自然と触れる量が増えてしまうことが危惧されます。つまり、意図的に情報から離れることが必要と考えられます。

Braga は「外に出て、空気を吸う」という行動を推奨していると述べていますが、こうした行動は、テレビによる情報接触を減らすという観点から望ましい行動と言えるのではないかと思います。

なお、新型コロナウイルスは「飛沫感染」と「接触感染」が基本であり「空気感染」の可能性が低いことを踏まえれば【*4】、少し「外に出て、空気を吸う」くらいでは、感染のリスクについても問題ないと言えるでしょう。

「外に出て、空気を吸う」行動は、基本的に「不要な外出」だと考えられます。しかし「感情の伝染病」から身を守るためには、むしろ「不要な外出」こそ役立つのではないかと思われます。家に引きこもって、のんびりとテレビやインターネットを使って漠然とした時間を過ごしそうな人は、軽い外出の機会を設けることも重要だと思います。

誤情報が拡散される背景としての「不安」

新型コロナウイルスの感染がこれだけ騒がれている中で、私たちが不安を感じるのは当然のことであり、これらの不安を完全に抑えこむことには無理があります。(とはいえ、情報の接触を少しでも減らして、無駄な不安を抱かないようにするという対処が重要だと思いますが。)

そこで、不安と向き合っていくためには、こうした感情がどのような影響をもたらす可能性があるかについて知っておくことも有効だと思います。ここで特に気にしておきたいのは、社会へのインパクトが大きい「情報の発信・拡散」に関する問題です。

新型コロナウイルスをめぐっては不確かな情報の多さが問題視され、その対処が広く行われています。ネット上でみられる多くの情報が "ファクトチェック" されており【*5】、私も非常にお世話になっています。しかし、ファクトチェックする必要のあるような真偽不明の情報は追いつかないほどに次々と流れているのが現状です。

また、誤情報とまでは言えないものの「よく考えたらコロナウイルスかかってる人あんまりいないよね」というツイートの大量投稿が話題になったり【*6】、「韓国に比べて検査数が少ないのは日本政府が感染者を少なく見せたいからだ」といった検査にまつわる陰謀論じみた意見がインフルエンサーによって拡散されたりするという状況もあります【*7】。

こうした誤情報の拡散や、陰謀論的な思考は「ネットリテラシーの低い人がやる」と考えられがちですが、実際のところ、不安が高まっている状況では誰もが誤情報の拡散に加担し得るので、自分は大丈夫と思わずに注意深くなることが重要だと思います。

というのも、不安が強い状況では、人と寄り添い、不安を共有し、安心を得ようとする「親和欲求」が強まることが知られています。もう少し言えば、不安が高い状況において、人は情報の拡散・共有をしやすくなるため、根拠のあいまいな「うわさ」を流しやすい言えます。たいていの人がこうした欲求からは逃れられません(人間として自然なことなので問題というわけでもありませんが)。

また、誤情報の拡散は必ずしも悪意があるというわけでもありません。むしろ「善意」のために拡散されるケースのほうが多いくらいではないかと私は予想しています。また「これってどうなのかな?」と誰かに尋ねるような形での誤情報の拡散もあるでしょう【*8】。誤情報の拡散を悪人がやることのように扱うのではなく、こうした状況下では誰もがやってしまうことと考える必要があると思います。

さらに、不安の高い状況では、陰謀論的な思考をしやすくなることも研究で示されています【*9】。ふだんは陰謀論を嘲笑し、批判しているような人が「これは陰謀論ではない」と言いながら根拠不明の内容を口走っているといった場面をネット上で何度か見ました。

陰謀論や誤情報の拡散は、感染のさらなる拡大につながってしまうということも指摘されており【*10】、WHO(世界保健機関)は「インフォデミック」という語を用いて、警鐘を鳴らしています【*11】。

「不要不急の外出を控える」という対応が情報接触を増やして不安を高めるという話と結びつければ、不安によってさらに情報が氾濫し、根拠不明でより不安を煽るような情報との接触を増やし、さらに不安が高まり……といった悪循環が懸念されます。

不安な中でもできる「予防行動」

ある記事の中に、こんなことが書かれていました。

 病は気からというように、不安が増長されると持って生まれた自然治癒力や免疫力も失われてしまうことになりかねない。まずは気をしっかり持とう。

 そして自分でできる最善の努力をすればいい。気を付けることと心配することは意味合いが違う

 

出典:不安で胸が張り裂けそうなあなたへ。過度に心配していることの多くは現実にならない(米研究) : カラパイア

新型コロナウイルスが怖い。不安である。それは当然のことだと思います。しかし、この記事が言うように私たちは不安になるだけでなく「気を付ける」こともできるはずです。手洗い、うがい、こまめな換気、早めの睡眠、など今すぐにでも始められる対策はたくさんあります。

実際、マスクをつけている人はたくさん見かけますが、食堂で手を洗っている人はほとんど見たことがありません。それでは意味がないのではないでしょうか。

不安に苛まれたとき、それを収めるために何かの対処行動を取る際、人間はコストの小さい行動を取る傾向があるのだといいます【*12】。

「不安だ」と思いながら、テレビやネットを見ているだけというのは非常にコストの小さい行動です。もっと言えば「不要不急の外出を控える」という対策も個人から見ればコストの小さい行動です。こうした対策で「安心」することは当然ながら不可能に近いと思いますし、むしろ「不安」を高めるのではないかというのは、これまでに見てきた通りです。

結局、現時点で大切なのは「コストのかかる予防行動」の積み重ねだと思います。もっと端的に言えば「手洗い・うがい」からです。こうした行動は場合によっては、認知や感情を変化させることにもつながり得ると思います。

おわりに

多くのイベントが自粛される中で、どうも「不要不急の外出を控える」ことばかりが強調されている印象を受けます。しかし、「不要不急の外出」をやめて家にいるだけでは、情報の接触が増え、他に考えることもなく、余計な不安を背負うことになる可能性が高いと思います。それならば、心理療法士の Braga が推奨していたように、定期的に少しだけ「外へ出て、空気を吸う」ぐらいの行動を定期的にとっていた方がまだマシなのではないかと思います(もちろん、手洗い・うがいなどの予防行動も合わせて行う必要がありますが)。

こうした状況で生じる「不安」は個人にも社会にも悪い影響を与えます。とはいえ、この感情をコントロールすることは難しく、「正しく怖がろう」と言って、正しい情報を提供すれば、適度な不安感情を保つことができるというような簡単な話ではありません。正しい情報を提供すればよいといった欠如モデルの価値観は捨てるべきです【*13】。

ちなみに、話題となっている「希望者が全員、検査を受けられるようにすべき」という話も医学的には間違っていますが、人間の感情としては極めて正常であると感じています【*14】。こうした状況を踏まえ、医療者以外でもいいので「不安」についての対処を行う専門家が必要なのではないかとは思います。

最後になりますが、一人一人ができることとしては、自分の中に生じる不安感情を受け止め、そのうえで、人間の特性や「不安」がどのような影響を持つかについてを認識し、慎重に日常を送っていくことが重要だと思います。まさに「恐る恐る日常を続ける」しかないと私も思います【*15】。

追記(20/02/29)

記事を公開した直後に、同じような趣旨のことを述べている専門家の記事を見つけたので引用しておきたいと思います(強調はすべて筆者による)。

news.yahoo.co.jp

大人の不安は、子供に「二次的な不安」として影響を与える可能性があります。言葉では説明できない、漠然とした「わけのわからない不安」を子供が感じてしまうのです。

優しくて思いやりがある。繊細。周りをよく見ている。こうした子は特に「二次的な不安」を感じるリスクが高まります。親や周囲は子供の小さな変化に気を付けて、子供を見守ってあげる必要があります。

しばらくの間「上手にやりすごす」という考え方が大切になると思います。そのためには「どうしよう」と不安になるのではなく、小さくてもいいので具体的な行動を起こす。「どうしよう」より「こうしよう」です。

今の状況が永遠に続くわけではありません。インターネット上の真偽不明の情報に惑わされず、公的機関や医療機関などから正しい情報を得る。怖がるのではなく「備える」ことが求められます。

インターネットで大量のニュースに触れて、ストレスを感じるというケースもあります。ポイントは「こうなった」という結果を伝えるニュースだけではなく「こうしましょう」という、対策を伝えるニュースに意識を向けることです。「こんなことが起きた、どうしよう」ではなく「こうすればいいんだ」というマインドに持っていき、確かな情報をもとにそれを実行する。それにより不安は大きく軽減されます。したがって、こうした非常時においては、信頼のおける情報源を確保しておくことが何より重要となるのです。

心理的には、家でじっとしていることは、あまりよくないとされています。「身体活動」が低下すると「精神活動」も低下する。精神活動の低下は、心理面でいい状態だとは言えません。したがって、たとえ自宅待機になったとしても、適度に体を動かすことが大切です。普段できない家事、体操、安全面衛生面に問題がないのであれば散歩。とにかく無理のない範囲で体を動かすことを心がけてください。

あらゆる不安、そして「早く収束してくれ」と焦る気持ち。熊本地震でもそうでしたが、非常時において人は頭の中でいろんなことを考えてしまいます。しかし、何より大切なのは考えることよりも冷静に行動することです。繰り返しになりますが、しばらくの間、上手にやりすごしましょう。

*1:「不要不急の外出は控えて」 政府、感染拡大防ぐため [新型肺炎・コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

*2:全国の小中高 臨時休校要請へ 来月2日~春休みまで 首相 | NHKニュース

*3:原文は次の通り。
The closure of schools and offices means that "many people are just spending all day at home watching television programmes where people are only talking coronavirus, it's completely anxiety-inducing," says Braga, adding that she was encouraging patients "to go out, to get some air".
But, she says, "it's like an emotional epidemic, and emotions are hard to control".

*4:東京新聞:相次ぐ新型肺炎、正しく恐れよう Q空気感染は?A国内で確認なし Qマスク必要?A病原体飛散防ぐ:社会(TOKYO Web)

*5:ファクトチェックの例:チェック済み情報まとめ(国内編) | FIJ|ファクトチェック・イニシアティブチェック済み情報まとめ(海外編) | FIJ|ファクトチェック・イニシアティブ

*6:Twitter「よく考えたらコロナウイルスかかってる人あんまりいないよね笑」重複投稿、誰が何のために? - wezzy|ウェジー

*7:【参考】PCR検査についての解説記事:新型コロナ、なぜ希望者全員に検査をしないの?  感染管理の専門家に聞きました : BuzzFeed

*8:【参考】社会心理学者・竹中一平氏のブログ:噂に惑わされないために

*9:【参考】Grzesiak-Feldman, M. (2013). The Effect of High-Anxiety Situations on Conspiracy Thinking. Current Psychology , 32(1), 100–118. https://doi.org/10.1007/s12144-013-9165-6

*10:新型コロナウイルス:デマの氾濫は感染拡大を悪化させてしまう(平和博) - 個人 - Yahoo!ニュース

*11:新型コロナウイルスによって生じる「インフォデミック」とは? | DOCTOR'S COLUMN(ドクターズコラム)|【マイナビDOCTOR】

*12:新型肺炎「不安の正体」なぜ人々はパニックに陥っているのか(原田 隆之) | 現代ビジネス | 講談社

*13:【参考】欠如モデル | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

*14:「コロナウイルスPCR検査に関して、科学的に妥当なものの見方ができる人たちと不安の強い人たちとの分断について」medtoolz先生の久々のツイート - Togetter

*15:全国一斉休校の速報に専門家も「ひっくり返りそうになった」 新型コロナ感染拡大防止のためにどこまですべきか? - BuzzFeed

不登校理由を尋ねた調査をどう読むか【小論】

不登校の「本人」調査

2020年、文部科学省は「不登校」の子ども本人に対する聞き取り調査を実施する。

 背景にあるのは、いじめの認知件数が過去最多となっているのに対し、学校側が挙げる不登校の理由では、「いじめ」の割合が極めて低い状況にあることだ。

 文科省では毎年、「問題行動・不登校調査」を行っており、不登校の要因は、「学業不振」「進路に係る不安」「いじめ」などの調査票に示された区分から、学校側が選択し、教育委員会経由で文科省に報告している。ただし、要因を児童生徒から聞き取っているケースは少ないという。

 2017年度の同調査(複数回答)では「家庭状況」が36・5%と最多で、「友人関係」(26・0%)、「学業不振」(19・9%)が続き、「いじめ」はわずか0・5%で、723人だった。

 これに対して、いじめの認知件数は同年度、小中学校で約39万8000件と過去最多を記録。「不登校の要因として挙げている数字と実態に大きな乖離がある可能性がある」(文科省幹部)として、学校や教委を介さずに、児童生徒から聞き取ることを決めた。具体的な質問方法や項目は今後詰めていくが、学校や部活動での状況、教員や親との関係などについて選択式で尋ねることを検討している。

 文科省では「不登校になった原因の本質を浮かび上がらせ、いじめの実態についても検証したい。いじめに伴う自殺という最悪の事態となることも防ぎたい」としている。

出典:不登校調査は学校介さず…来年度数百人聞き取り : 特集など : STOP自殺 #しんどい君へ : 教育 : 教育・受験・就活 : 読売新聞オンライン(※強調は筆者による)

簡単に要約すると、文部科学省が実施している「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」では学校側や各教員が不登校の理由を判断していることが多いため、実際に不登校になっている子が感じていることと乖離している可能性がある。そのため、2020年度には文部科学省として本人調査を実施するという取り組みを実施するという話である。

参考→児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査:文部科学省

 

日本財団不登校調査が示したこと

実際、文部科学省以外が実施した不登校調査を見ていくと、文科省調査(対教師調査)との乖離はたしかに見られる。

代表的な調査として、まずは日本財団が2018年に実施した「不登校傾向にある子どもの実態調査」を参照する。この調査は、現中学生から中学卒業後(22歳まで)の若者本人に対するインターネット調査を行ったものである。

この調査の最大の特徴は、いわゆる文部科学省が定義する不登校には含まれないが「不登校傾向」といえる子どもの実態を丁寧に解きほぐし、推計約43万人の中学生が「学校に行くのがつらい」と感じていることを示した点である。不登校傾向にも一種のスペクトラム性があるということが言えるだろう。

(尚、NHKによる2019年調査では、不登校および不登校傾向をもった子どもが推計約85万人にもなるというデータが示されている。参考→“隠れ不登校”は4人に1人、中学生1万8000人にLINEで調査 / 不登校新聞

そして、本稿の主題である「不登校理由」について参照してみると興味深い実態が浮かび上がる。

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まず、注目したいのは、身体的症状を除くと「授業がよくわからない・ついていけない」「小学校の時と比べて、良い成績がとれない」といった学業面の問題がかなり挙げられていることである。さらに「友だちとうまくいかない」といった友人関係の問題に加え、「先生とうまくいかない / 頼れない」といった対教師関係も大きな理由となっている。その結果として「学校は居心地が悪い」「学校に行く意味がわからない」といった回答が増えるのだろうと推察される。また、「自分でもよくわからない」という回答が欠席の多い層で多いという点も興味深い。

この調査では「いじめ」や「家庭状況」といった理由がみられないため単純な比較は難しいが、前述の文科省調査とは違った実態がみえてくることは間違いないだろう。

 

不登校新聞が指摘してきたこと

もう一つ、不登校の実態については「不登校新聞」でも多く取り上げられているので、そちらも参照してみたい。まずは、2016年のこちらの記事を参照する。

平成18年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(以下・問題行動調査/学校・教職員が回答)における中学生の結果と、平成18年度当時中学3年生だった不登校生徒を対象にした「追跡調査」(不登校した本人が回答)の結果のうち、「不登校の理由」を比較検討した。検討の結果、親・友人・教職員との関係は、両調査の共通項目であるなどの理由から比較が可能と判断。教職員と本人の回答が16倍も開いた「教職員との関係」については、「生徒本人は教職員との関係に『原因あり』と感じていても、教職員はそのことを自覚していないと言える」と分析した。

不登校の理由は「先生」 学校と子どもの認識に16倍の開き【公開】 / 不登校新聞

この記事は、文科省による「問題行動調査」(平成18年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」; 学校・教職員が回答)の結果と、同じく文科省が実施した「追跡調査」(「不登校に関する実態調査」〜平成18年度不登校生徒に関する追跡調査報告書〜 ; 不登校した本人が回答)の結果を教育社会学者の内田良が比較したものに基づいている。

参考→「不登校に関する実態調査」 ~平成18年度不登校生徒に関する追跡調査報告書~(概要版):文部科学省

二つの調査の比較から見えてきた実態は次の図の通りである。対教師関係、親との関係、友人関係のいずれも過少に見積もられているが、特に「対教師関係」や「友人関係」が少なく見積もられていたことがわかる。

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似たような実態は、2019年にNHKが中学生1968人に行った調査でもみられる。

 文科省調査において、「教員との関係」が不登校の要因として挙げられた割合は2・2%だったが、NHK調査では23%と、20ポイント以上の開きがある。

 また、「いじめ」についても、文科省調査では0・4%となっているが、NHK調査では21%だった。文科省が把握している以上に、「教員との関係」や「いじめ」などを不登校の要因として挙げる子どもが多いことがわかる。

(中略)

 そのほか、「部活動」18・3ポイント、「決まりや校則」17・5ポイント、「進路」15・1ポイント、「学業」14・2ポイントと、NHK調査の結果が文科省調査のそれを上まわった。

 一方、逆の結果が出ている項目もある。不登校の要因に「家庭」を挙げている割合は文科省調査では30・8%であるのに対し、NHK調査では21%と、文科省の調査結果を下まわった。

 なお、不登校の要因について「答えたくない」と回答した子どもは1%だった。

出典:中学生に直接聞いた不登校理由、国の調査と大きな隔たり / 不登校新聞(※強調は筆者による)

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不登校理由」が意味するもの

ここまで、不登校の子どもが「不登校である理由」について教職員・学校が回答する調査と、不登校になった本人が回答する調査によって、かなり異なる実態が見えてくることを指摘した。

こうした議論をすると「文科省調査は実態を反映していなかったんだ!」という方向に行きがちである。ただ、我々が忘れてはならないのは不登校になった本人に聞き取った調査結果が不登校の “根本的な原因” かどうかは分からないということである。この点について、二つの理論を引用しながら考察してみたい。

 

「帰属」理論から考察する不登校

不登校という行動に理由を見いだすことは、心理学の言葉を借りれば「帰属」の一種である。帰属には、その行動をとった個人の性格や態度などを理由として見出す「内的帰属」と、その個人を取り巻く周囲の環境や状況を理由として見出す「外的帰属」がある。

一般に、個人が自分自身の行動の帰属を行う際には、自分を取り巻く状況への認識が強いため「外的帰属」が行われやすく、他者がある個人の行動の帰属を行う際には、知ることのできる情報に判断の根拠が偏ってしまい、特に「内的帰属」が行われやすいと考えられている。

 

これを不登校問題に置き換えて考えていくと次のようなことが言える。

教員や学校にとって「友人関係」は細かく把握するのが難しい情報である。一方で、児童・生徒の保護者に関する情報は教師にとってある意味で「単純な」情報であり、保護者に対する印象は形成しやすいと考えられる。そのため、友人関係よりも家庭関係に問題があると推測しやすいのではないだろうか。さらに、他者判断であるため「内的帰属」を行いやすいと考えられる。そのため「無気力」「不安」といった本人に係る要因を過大視した判断をする可能性も高い(「問題行動調査」から判断することは難しいが)。

一方で、不登校になった本人は「外的帰属」を行いやすいため、調査で問われているような環境要因を高く見積もって帰属しやすいと考えられる。そのため、本人調査で尋ねられる外部状況の要因はどれも過大に見積もられている可能性があると言えるだろう。

 

「動機の語彙」理論から考察する不登校

もう一つ、社会学者ミルズの「動機の語彙」論から、不登校の理由について考察してみたい。まずは、この論について社会学者の津田正太郎の解説を参照したい。

「動機の語彙」について説明しておくと、これは米国の社会学者チャールズ・ライト・ミルズによって提起された用語だ。「動機」は人間の心の内側にあるものとしてではなく、他者とのコミュニケーションのなかで語られるものとして捉えたほうがよいという発想に基づいている。

人間の心のなかはみえないし、そもそもつねに明確な動機に基づいて行動するとも限らない。それでも、たとえば殺人事件のように「なぜそれをやったのか」が大きな問題となることはあり、人はその動機を探そうとする。

そこで重要になるのは、やった本人がどう考えているかではなく、周囲が「納得できる動機」かどうかだ。納得できない場合に周囲の人間が「ほんとうの動機」を無理にでも聞き出そうとすることもあれば、聞かれた側がたとえ本心ではなくとも納得してもらえそうな動機を語ることもある。

(中略)

また、「納得できる動機」は、その行為をした人物に対してどのような感情を抱いているかによっても変わる。たとえば、自分が好感をもっている政治家が人助けをしたとしよう。その場合、「困っている人を見逃せなかった」といった利他的な動機の語彙は受け入れやすい。しかし、それが嫌いな政治家であったなら「売名目的」「選挙対策」といったシニカルな動機の語彙のほうが説得的に思える。

出典:ネットを支配する「シニシズム」「冷笑主義」という魔物の正体(津田 正太郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/8) (※強調は筆者による)

「動機の語彙」論の最大のポイントは「動機」というものを行動に先立って個人の中に存在するものではなく、行動が起こった後にその意味づけのために存在するものと考えることである。そして、「不登校」という行動の背景として語られる「動機」は、本人が“本当に”どう思っている(いた)かではなく「不登校」という行動の理由として周囲が納得できるものになっているかが重要視されていると考えるのである。

津田の指摘にも重なるが、そもそもつねに「不登校」という行動が明確な動機に基づいた行動とは限らない。実際、前述した日本財団による調査では「自分でもよくわからない」という理由が少なからず語られている。しかし、こうした理由は教員や学校、さらには保護者が「納得できる」理由とは言いがたいだろう。そのため、こうした理由は、本人調査でないと語られにくい「動機の語彙」であるだろう。また、選択型の調査ではあくまでも納得感に合った「動機の語彙」が選択されている可能性が高いのではないだろうか。

また、こうした「動機の語彙」論が示唆するのは、その人のパーソナリティ特性や状況などにしたがって、自罰的な語彙/他罰的な語彙の選択量が異なっている可能性である。たとえば、他罰的な語彙を選択しやすい子どもは、不登校の原因を状況要因(対教師関係、家族関係、学校の雰囲気など)に見出しやすく、自罰的な語彙を選択しやすい子どもは内的なものに関わる要因(友人関係の不和、学業不振など)に見出しやすいという違いがある可能性がある。教員が「いじめ」や「対教師関係」を原因として挙げることが少ないのも、教員が自罰的な語彙を選択しづらい状況(自らの処分に関わるため)ことが理由と考えられるだろう。

 

不登校理由の語りをどう読むべきか

心理学の「帰属」理論や、社会学の「動機の語彙」論が示唆するのは、不登校の理由として語られるものは、その時に不登校になった動機を必ずしも意味せず、後からの意味づけでしかない可能性である。そして、そうした意味づけには様々な要因、いわば「バイアス」がかかることが多く、これは他者に対する調査でも本人に対する調査でも同じである。

つまり、不登校の理由を尋ねる万能な調査はない。それゆえ、多様な調査方法を用いていく中で、各回答者のバイアスに留意しながら結果を解釈していくことが重要だと考えられる。

たとえば、不登校になった本人が「対教師関係」を不登校の理由として多く挙げたから「対教師関係」は不登校の大きな要因だと語るのは早急である。教師に対するネガティブな感情が、不登校という行動の「動機の語彙」として「対教師関係」を選択しやすいという傾向に寄与している可能性にも目を向けなければならないのである。本人が語る「動機」が必ず正しいというわけではない。自分のことを一番よく知っているのは自分とは限らないのである。

とはいえ、2020年度に文部科学省不登校の児童生徒本人に対して聞き取り調査をするということそのものは、これまでの対教師・学校調査では見落とされてきた、あるいは低く見積もられてきた要因を浮かび上がらせる可能性が高い。多様な調査を比較しながら、いまや世界的にも有名となってしまった日本の子どもたちの「不登校」(futoko)という問題と向き合っていく必要があるだろう。

繰り返しになるが、重要なのは、ある調査結果をもとに「これが不登校の重要な理由だ」と一方的に決めつけることではないし、本人調査の結果を重視して「先生は何もわかってない」とか、対教師調査の結果を重視して「子どもは他罰的だ」と見なすことではない。統計の限界に留意しながら、子どもが過ごしやすい学校環境を整えるために何が必要かを考えていくための調査であると思う。そして、「バイアス」を少しでも減らすために多様な調査方法を用いて、多角的に不登校問題や学校の状況を捉えていくことこそが、こうした問題の解決には不可欠なのではないかと思う。

若者が「ヒト消費」を重視する背景【小論】

「ヒト消費」を重視する若者

経営戦略コンサルタント鈴木貴博(2019) によると、近年の若者の消費行動が「モノ消費」や「コト消費」といったこれまでの考え方では形容できず、いわば「ヒト消費」というべき消費が中心となっているという。

日曜の深夜に新宿ゴールデン街の狭いお店で盛り上がる若者、「忘年会に参加する時間もお金もどちらももったいない。上司の話を聞く必要があるならその時間の給料を払って欲しい」と言って忘年会に参加しない(いわゆる「忘年会スルー」をする)若者、そしてモノにはほとんどお金をかけない一方で、スマホ、映画、飲食店、タクシーには乗る……という若者。

こうした若者の行動を鈴木は「ヒト消費」というキーワードで結びつける。

見たい映画だから観に行くわけではなく、おいしいから食べに行くわけではなく、楽をしたいからタクシーに乗るわけではない。そこにいる人と一緒にいることができるから、その体験が共通の話題や記憶になるから「コト消費」をする。いいかえるとやっていることは「コト消費」に見えても消費のきっかけはむしろ「ヒト消費」なのです。

そう考えると、まったく違う3つの出来事がひとつのキーワードでつながってきます。若い世代は「モノ消費」だけでなく「コト消費」にもそれほど関心が無い。でも「ヒト消費」にはお金をとても使う傾向があるのです。

この記事は定量的なデータの分析を扱っておらず、あくまで「傍証」のみではあるが、少なくとも自分の実感と一致しており、とても興味深い傾向に感じる。

では、こうした「ヒト消費」が増えている背景にはいったい何があるのだろうか。ここでは「人間関係の自由化」を軸に考察してみたい。

 

人間関係の自由化がもたらす「光」

人間関係の充実は、若者の生活満足度に影響を及ぼす重要な要因と考えられている。

例えば、内閣府が実施した「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査 (平成30年度)」をみると「あなたは、どんなときに充実していると感じますか。」という設問において、『あてはまる』(「あてはまる」と「どちらかといえばあてはまる」の合計)と答えた割合は「恋人といるとき」(82.3%)が最も高い。そして、3位には「友人や仲間といるとき」(74.4%)が挙げられている。(我が国と諸外国の若者の意識に関する調査 (平成30年度) - 内閣府

また、少し古いデータではあるが、NHK放送文化研究所が2012年に実施した「中学生・高校生の生活と意識調査」の中では、学校生活で一番楽しいこととして「友だちと話したり一緒に何かしたりすること」と回答した人の割合が中学生で68.2%、高校生で76.6%と最も高くなっている。(https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/yoron/social/pdf/121228.pdf

以上の調査結果より、人間関係の充実は生活の充実に関わっており、子どもの場合には学校生活の充実にも関わっていると言える。

 

そして、近年、若者の生活満足度は明らかに以前より高まっている。例えば、NHK放送文化研究所が実施している『「日本人の意識」調査』における1973年と2013年の結果を比較すると、若年層において満足感が大きく高まってきたことがわかる(図)。また、同調査によると、日々の生活を充実させるために必要なものとして「健康な体」や「経済力」が全世代で共通してかなり重視されているが、若年層において「なごやかなつきあい」を挙げる人が以前よりも増えてきているといい、人間関係での充実感が生活満足度を高めている可能性は高い。

f:id:amtmt322:20191231093929j:image出典:NHK放送文化研究所(2015)『現代日本人の意識構造 (第8版) 』NHK出版

現代日本人の意識構造〔第八版〕 (NHKブックス)

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2015/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

ところで、社会学者の見田宗介(2008) は「まなざしの地獄」という言葉を用いて、1960年代の若年層の心性を紐解いた。そこには「関係からの自由への憧憬」があったといい、関係欲求よりも関係嫌悪の方が強かったのだという。つまり、人間関係から逃れたいという心性が強く、現代の若者とはまったく逆であることがわかる。

まなざしの地獄

まなざしの地獄

 

そして、同じく社会学者の土井隆義(2019) によれば、1970年代以降の急速な経済成長と人口の拡大の中で、人口移動率の増加や、社会全体としての価値観が多様化に伴い、共同体の拘束力が弱まったという。その結果、人間関係は自由化し、人間関係に満足感を覚える若者が増え、人間関係を希求する心性へと変化していったのではないかと指摘している。

 

以上の議論を踏まえると、人間関係に対する満足度の高さは「人間関係の自由化」に関係すると考えることができる。他者から人間関係を強制されることが減り、付き合いたくない相手とは付き合わず、自分の好きな相手とだけ付き合えば良い。こうした価値観が高まった現代社会だからこそ、人間関係が若者の生活満足度に関わる重要な要因になっているのではないかと考えられる。

「宿命」を生きる若者たち: 格差と幸福をつなぐもの (岩波ブックレット)
 

 

もちろん、若者の生活満足度の高さを「人間関係」のみで論じることは不可能であり、実際にはより多様な要因が関係していると思われるが、本稿の論旨とはずれてしまうためこれ以上は深入りしない。

が、いくつかの調査結果が示すのは、若者の生活満足度には人間関係の充実が深く関与しており「人間関係の自由化」という社会的な要因がそれを後押ししているという実態である。

 

人間関係の自由化がもたらす「影」

このように、人間関係の自由化が人間関係への満足度を高めてきたと考えられる。しかし、人間関係の自由化は、同時に人間関係の「リスク」を高めていると考えられる。その結果、人間関係の維持に大きなコストを割かなければならなくなっている可能性が高い。

土井隆義(2016) によれば、人間関係の制度的基盤が弱まる中で、人間関係の指標である「友人の数」は格差化が進んでおり、差が開くことによって人間関係そのものが「評価の物差し」として作用するようになっているという。すなわち、人間関係を形成することが流動性の高まりによって「自己責任化」するだけでなく、その人自身の評価を決める指標と認識され、人間関係を維持することへのプレッシャーを与えている。

変容する子どもの関係 (岩波講座 教育 変革への展望 第3巻)

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実際、青少年研究会が実施している2002年と2012年の「友人の数」の分布を見てみると次のような変化がみられる。分散が明らかに大きくなっており、格差化が着実に進んできている。その中で、人間関係の中でも特に友人関係はストレス源と認識されているという実態が浮かび上がってくる。

f:id:amtmt322:20200102145552j:imagef:id:amtmt322:20200102145554j:imagef:id:amtmt322:20200103185449j:image出典:http://www.sec.sapporo-c.ed.jp/download/pdf/web/H27web/280324doi.pdf

 

そして、こうした格差化を背景に、流動性の高まった人間関係の維持に大きなコストをかけることが重視されているのではないかと考えられる。人間関係に関する「自己責任」が強まる中で、他者からよい評価を獲得するための競争が起こっているとも言える。他者からよい評価を受け、よい関係を築くために「他人から “ぼっち” と見られたくない」「他人から嫌われたくない」という気持ちが強まり、人間関係の維持を重視しようとする、「自己目的化された人間関係」が広がっているのではないだろうか。

さらに、こうしてコストをかけることによって維持される人間関係は、前節でみたように「充実感」という報酬をもたらすため、人間関係にコストをかける行動を「強化」していく。しかし、人間関係が強固になっていくほど、かえって見捨てられることに対する「リスク」を感じ、人間関係に対する不安が高まっていく可能性もある。そして、極端な場合にはドラッグのように特定の人間関係に「依存」する心性さえ生むだろう。

 

おわりに

本稿では、1970年代以降に起こった「人間関係の自由化」によって、若者の人間関係に対する満足度が高まっていく中で、人間関係を喪失することに対するリスク感覚が強まり、人間関係の維持に大きなコストを払おうとする心性が生まれているのではないかと考察した。その結果として、冒頭で紹介したような人間関係の維持を目的とした「ヒト消費」が重視されているのではないかと考えられる。

ところで、冒頭の記事の中では「ヒト消費」の強まりの中に「忘年会スルー」の例が挙げられていたが、もしも若者が「人間関係」を重視するならば、上司とのつながりの機会である忘年会を重視するのではないかという疑問が生じる。実際、そのような動機づけで忘年会に参加する者もいるかもしれない。

しかし、冒頭の記事によれば、忘年会は会社からは「職場の一体感を築くチャンスとして「仕事の一環としての行事」として重要視するイベント」と認識されていることが多いようである。すなわち、忘年会があくまでも仕事に関わる行事となっているならば、そこで人間関係を強く形成しようという動機づけにつながらない可能性がある。

さらに、職場での人間関係はある程度固定的なものであり、プライベートな人間関係よりも関係維持に関するリスクが低い。そのような状況を考えれば、プライベートな人間関係にコストを優先して配分したいという心性になっている可能性もある。

 

なお、若者が人間関係を重視する心性については、リスク感覚の強まりだけではなく、価値観の多様化にともなった「承認欲求」の高まり、その背景にある「他者志向型」の社会的性格という観点からも考察ができると考えられる。

さらに、人間関係が強固になった時に人間関係に対するリスク感覚がどのように変動するかは十分に考察できなかった。

これらの点については、いずれ論じていきたいと思う。

 

主な引用文献

土井隆義(2019)『「宿命」を生きる若者たち:格差と幸福をつなぐもの』岩波書店

土井隆義(2016)「第4章 ネット・メディアと仲間関係」佐藤学・秋田喜代美・志水宏吉・小玉重夫・北村友人 (編)『岩波講座 教育 変革への展望3 変容する子どもの関係』岩波書店

見田宗介(2008)『まなざしの地獄』河出書房新社

NHK放送文化研究所(2015)『現代日本人の意識構造 (第8版) 』NHK出版

鈴木貴博(2019)「日本の若者たち、「コト消費」から「ヒト消費」に激変していた…!」現代ビジネス(最終閲覧日:2020.1.2)